2012年1月1日 明けまして御目出度う御座います。 [日常]

新年明けまして御目出度う御座います。
本年も宜しくお願いします。
ということで、今年もまた年賀状の掲出です。web上からですがどうぞお受け取り下さい。
年賀状を干支の動物のポートレートでと思い立った時からの不安が、今年現実になった。辰年である。辰は何処に行けば撮れるのであろうかと言う難題を、こう逃げることにした。
その名もリーフィーシードラゴンを撮影した。肢体も正月らしく華やかで優雅である、何より深みに向かって泳ぐ姿はまさに名前の通り龍のようである。もっとも、顔の寄りでは分かりにくいところから、昇龍にあやかって上に向かって泳ぐ姿を使用した。上向きに!との願いを込めて。
良い年になりますように。
2011年12月11日 皆既月食の夜。 [日常]


皆既月食なのであった。
その一部始終が観察出来るのは十数年ぶりで、次回は7年程先になると言う事である。ともあれ好天と澄んだ空気に恵まれて東京でも美しい赤銅色の満月を楽しんだ。
欠けて暗くなって行く月に反し普段に増して星が多く見えたような気がするのはセンチメンタルを気取り過ぎか。昔の少年だったから今でも宇宙や天文にトキメクのである。
始めてクレーターを観たのは父親の双眼鏡だったか、「科学」の付録の望遠鏡だったかは定かではないが何時かそこに行けると眺めていた月は未だ一番近くの遠い天体に変わりはない。月基地に定期便の宇宙船が飛ぶ夢見た未来はまだやって来てはいない。ただ月食の撮影はとても簡単になった、間違いなく未来は近づいている。
タグ:皆既月食
2011年11月23日 遠くを見る。 [日常]


PENTAX Optio S5n
新聞を読むとき、畳まれている内側つまりラテ欄から読み(眺めか?)始めている。
右手にトーストを持ち、空いた左手の指先でまだ折り込みの入ったままの重さを持ち上げて編集手帳(読売新聞だから)などを斜め読みする事も少なくは無いが、基本的には新聞はラテ欄スタートである。
まだ社会の動きなどにさしたる興味も抱いていなかった幼き頃より変わらず大人の現在に至も新聞はラテ欄から、である。三つ子の魂百までもということであろう。
二つ折りに畳まれているのであるから開いて内側を読むと言う言い訳も用意出来るが、幼き頃より新聞の一義的活用法としてラテ欄にて当日のテレビ番組の確認と視聴スケジュールの脳内構築だったのは否定はできない、はたして現在に置いてもその活用法は変わらず朝の習慣である。もっとも、大人な今は第一面まで遡りながらじっくりと”記事”も読み込んでいる事は言うまでもない。
相変わらず芸をしない芸人たちが雛壇で大声を張り上げるだけのつまらないバラエティ番組ばかりが目につくラテ欄を溜息まじりで捲った先に、テレビの出荷量が大幅減少の記事を見つけた。チデジカ騒ぎも一段落でテレビの新規購入も一休みなんだろうし、何より不況のせいだろうと不況の波間に漂っているかのアタシは思うのでは有るが、テレビ好きのアタシすら番組表に観たい番組を見いだせない現状はテレビの危機なんだろう。
数少ない積極的にチャンネルを合わせる番組の一つが「南極大陸」だ。そりゃそうだろう、アレ程の物量番宣で盛り上げられたら嫌でも期待するのである。ましてや宇宙や海底や未開の地や極地は大好きなキーワードである。その昔汚かった科学博物館でジロ(の剥製)にだって対面している、新型「しらせ」だってチエック済みだ、日曜9時にはテレビの前に座を正すのであった。
ドラマの作りが「華麗なる一族」に似ていたり音楽やタイトルバックが「Jin-仁-」だったりする事は、まあ我慢しよう。どう見ても樺太犬じゃないのも大目に見よう。だけど、しかし、ドラマの方向性が見えないのは不満だ。
苦難を乗り越え一丸となって前進する敗戦後の日本を描きたいのか、映画の「南極物語」をドラマ化したいのかよく分からないのである。確かに大きなスケールで放送は始まったのに、気付くとあっさり宗谷は南極に到着し、さらっと一年越冬も終了してしまうのは拍子抜けだ。ましてや、ちまちました人間関係を描く事で酷く退屈なドラマになった上、実話ベースなのにやたら意味深な予告とタイトルは何をか言わんやである。
横並びの面白くも無いお笑い芸人バラエティばかりの中にスケールの大きい本格的ドラマでのテレビの楽しみを期待した事は、少し裏切られた。お金は掛かっていてもどことなく安直な芸人バラエティと同じ臭いがするのだ。
昔テレビは見た事も無いものを見せてくれた。例えばクストーの海洋冒険にときめいた、テレビは好奇心の窓そのものだった。ドラマの「南極大陸」にも実はそんなワクワクを期待した、でもテレビはもう限界なのかもしれない。ネットワークと情報端末に包囲されてテレビは目的を失ってしまったのだろう、テレ・ビジョンなのに身近なあるあるネタに馬鹿笑いする芸人を映す機械になってしまっている。
2011年10月6日 ありがとう、さようなら。 [日常]
2011年9月10日 呑気千万。 [日常]


Panasonic LUMIX FX-500
その昔、東京はスパイ天国だとよく言われていた。
インターネットや携帯電話も無かった東西冷戦の時代であっても、呑気な日本の週刊誌や新聞から簡単に世界の機密情報を入手出来たのだという。その気になれば秋葉原を一巡するだけで武器を含むあらゆるスパイ用具を作れたと、確か新聞で読んだ。当然スパイアクションものマニアな高校生のアタシは少しワクワクしたのである。
様々な小説や映画などでは日本にも内閣や防衛省直轄の諜報組織が存在するのである。つまりCIAやNSAみたいな組織が秘密裏に活躍している事になっている。首相官邸の地下あたりに巨大なマルチスクリーンに向かってU字型のマホガニーの机に主要閣僚らが並ぶ姿は定番であった。
ところがこの大震災とそれに続く原発事故の発生で架空と現実の乖離を思い知らされるのである。悲しい程のお粗末な政府の危機対処能力と情報収集能力は連日のようにテレビや新聞に露呈した。不甲斐無く頼りない現実の政治家が更なるお粗末さに色を添えているのであった、想像以上の現実の体たらくにこの後多くの小説家は日本を舞台にしたポリティカルアクションは執筆しにくいだろうと僭越な同情を覚えるのである。
今朝の朝刊一面の大見出しは米大統領機情報漏洩だった。ディスカバリーチャンネルやナショジオチャンネルの特集を観るまでもなく大統領搭乗中の専用機、つまりテロの象徴的標的になり得るエアフォースワンの行動は最高機密だ。そのフライトプランなどを事もあろうに羽田空港の管制官がブログに載せたというのだ。その管制官はテロリストのスパイだったのかノーテンキな小市民だったのかは判らないが、記事によると国家公務員守秘義務違反の疑いもあるので事情を聞いているとある。呑気な国の対応に些かな不安を思っていたら大臣がまた思慮の浅い言動で辞任した、呑気なニッポンの明日が心配なのはアタシだけ?
2011年7月25日 テレビのいない朝。 [日常]


Panasonic LUMIX FX-500
今朝は文字通り静かな朝を迎えた。
パンを焼くトースターのジリジリという音だけが響く食卓のアナログテレビは何も映らない。朝の連続テレビ小説を期待する習慣を持っていなかった事は幸いであるが、時計代わりの朝の情報番組が観られないのは何となく不安である。
昨日のお昼でテレビのアナログ放送は終了した。固唾をのんでその瞬間を待っていたら、時間通りに呆気なく、ただ唐突に終わってしまった。いよいよ昭和は遠い昔になって行くのだ。
我々の世代は始めて家でテレビを購入した日の事をテレビが「来た日」と表現していた事に異存はないと思う。テレビが家族の中心に置かれたのは物心もついてからである、無論、昨今の大作ドラマに必ず冠せられる開局○○年記念という年数から察するに生まれる以前からテレビ放送はあったのであろうが、テレビ受像機が家に来たのは物心ついてからの出来事であった。
19型が大型であった時代だ。アールデコっぽい長い足が付いた奥行きのある大きな四角いテレビは丸っこいブラウン管の前にフレネルレンズや水を入れる凸レンズ形状の画面拡大オプションが取り付けられ、さらにおしゃれな織物のカバーなどで普段は覆われていた。テレビは観る時が決まっていたのである。因にカラーに見えるという触込みのレインボーカラーに塗り分けられた画面カバーを付けてもカラーには見えなかったのは幼かったせいだろうか。
昨日の深夜、日付の変わるのを境に電波も停止した。直前、感謝のメッセージが流れたそうだが見逃してしまった、他のテレビでCS放送のツールドフランスのゴールを観ていたから。今やテレビは忙しいのだ、映さなければいけないメディアが山のようにある、アナログでは間に合わないのだ。食卓のテレビのチデジカを今更ながら急がねばならない、ただデコードの時間分だけ時差のあるデジタル放送に統一された日本は少しだけ朝が遅くなるのだろうかと不安ではある。
2011年7月21日 土用の丑の日。 [日常]


Canon EOS20D EF-S18-85mm
現実の食卓はもう少々、いや大分異なっている事はご了承願うのである。
つまり「本日、土用丑の日」なのである、理由の如何はともかく鰻の日である。
バレンタインディにチョコをクリスマスにケーキを食べる、日本人な我が家は当然のように夕食の食卓には鰻丼であった。
先日、遥か南太平洋上で天然鰻の卵の大量採取に成功とニュースは伝えたが今朝の情報番組は養殖用のシラスの不漁で鰻の販売価格の高騰を説明していた。スーパーマーケットの特設コーナーに並ぶ各種蒲焼きの価格は確かに、総じて高価な値付けであった。お買い得との表記の根拠を訝しみながら少々悩んで国内産鰻を選択したのは些細な贅沢である。ただ道すがらの老舗鰻屋の一串の値段は贅沢の許容範囲を逸脱していたのは悲しい事実だった。
土用シジミと呼ばれる旬なシジミたっぷりの味噌汁を供に鰻丼を堪能した。ただ惜しむらくは、そもそも夏の暑さ故の売り上げ不振の鰻屋の為の平賀源内による名キャッチコピーに反し今日は肌寒いのである。
2011年7月5日 番組改編期。 [日常]


Panasonic LUMIX FX-500
梅雨明けはまだ先だと言うのに暑い夏日が続く。
春のドラマも終わりを迎え番組改編期である。夏の新ドラマの番宣が散見される、TVも夏になって行くのだ。
残念な事にこの春は贔屓にしていたドラマは「Jin-仁-」くらいなものであった。第一シーズンに続き魅力的な登場人物に会える日曜夜には仁友堂の一員になっていた。間違いなく江戸に暮らしても良いとも思った。残念な事に放送回数の制約か妙に急いだ話の展開や最終回に台詞で謎に対するツジツマ合わせしてしまうなど不満点はあったが、例えば坂本龍馬の遺品を受けとる野風の濃密なシーンなど落涙は禁じ得なかった。
オッサンとしてはビールでもやりながらテレビを楽しむのが正しい夏の夜な気もするが、酒類をたしなまないアタシは年間を通して牛乳とコーラなのである。勿論、年齢を考え牛乳を控えめにコーラの比率を高めるあたり、大人の配慮は忘れてはいない。
ところが、ここ最近は水を飲んでいるのである。そう水道水を、それも暑さにかまげて大量摂取である。
少し前、東京の水道が放射性物質の脅威に晒された時、イスカンダルまで放射能除去装置を取りに行けないアタシは浄水器を装着したのだった。遠い昔面倒くさくて結局取り外した前科は有るものの放射性物質の不安に改めて導入である、そこで浄水器の主目的の水道水を不味くする要因濾過に期待して水を飲む事にしたのである。無論経済的理由も避けては通れないのではあるが、ただ、まあ結局、水道水なわけで別に美味しくは無い。
汗だくで校庭を駆け回った後蛇口に食らいついてひたすらに飲んだ水の美味しさは、あの頃の思い出なのである。同時に、今だ校庭で遊ぶ事すら叶わない被災地の子どもたちを思わなくてはいけないオトナなのに、今日また無責任に大臣が辞任した。それも復興と防災を兼務する大臣である、恐らく偉ぶる為の肩書きくらいにしか考えていないだろうし辞任したところで議員の職を失う訳ではない故か大臣という存在は随分と軽いものになった。与党からは呆れる程次々と浅薄さが露呈し野党はそれを蒸し返すしか能がない。結局これでまた政治は停まる、いみじくも朝刊に公開されていたすべて1000万円を遥かに超える議員のお給料は何の報酬なのだろう。
日本国も改変期だ、「Jin-仁-」の坂本龍馬のような熱い登場人物のキャスティングをしなくてはいけない。『日本を今一度洗濯・・』か。
2011年6月24日 日々これ口実。 [日常]


Panasonic LUMIX FX-500
当然梅雨時である。紫陽花は、まあ確かにきれいに咲いているのだが、暑いのである。
夕刊の見出しに熊谷で39.3度とあった、で暑いなどと書き出したものの思い直せば前回も暑いと書いているのだった。
梅雨とは言え連日暑い日が続くが故にブログの話題が・・・では無いのが我ながら笑止である。なにしろ前回の更新はまるまるひと月以上も『昔』の出来事だ、空白の日数を埋める口実を探す事すら困難である。ついで吐露すればfacebookやtwitterの所謂SNS上でも酷く無口なのはさもありなんである。勿論、タイムスリップして気がついたら今日に飛んでいた訳でもなく日々を過ごして来たのではある。
例えばタイムスリップと言えばのお気に入りのドラマ「Jin-仁-」、思わず落涙の先週の坂本龍馬の遺品として簪を受けとる野風の中谷美紀の濃密なシーンの事。例えば映画「アンダルシア女神の報復」のTVスポットにチラチラ映る主人公達が乗る先代シトロエンC5のタクシーの事。例えば撮像素子を動かして天体の疑似ガイド撮影を可能にするPENTAXのGPSユニットの事。例えば次々発表されるミラーレス一眼の事。例えばやっと姿が見えたPENTAX 645Dのテザー撮影ソフトの事。そして相変わらず改善しない仕事の事・・・
話題は豊富である。世の中は動いているのである、停滞しているのは怠惰に流される自分自身とこの国の政治だ。
2011年4月15日 ソーシャルネットワーク。 [日常]

DCOMO HT-03A
ブログの更新も滞る我が身も省みずfacebookさらにはtwitterに手を出したのである。無謀と言う形容詞が必須のようでもあるが、エジプトに端を発する世界情勢の変革そして震災と、この所謂ソーシャルネットワークの実力を目にした以上は傍観は出来ないのである。ただ数日を経た今日であっても設定を弄っているだけで積極展開にはほど遠いのは、然もありなんである。
もう何年も前の事フェイスブックに招待と言うメールが頻繁に届いた次期があった。単に面倒で無視していた事は当然内緒ではあるが、反省とお詫びを込めて今facebookに登録した、としよう。ソーシャルネットワークつまりはソシアルダンスのソシアル、社交である。招待メールを無視などもってのほかであった。反省を糧にfacebookとtwitterを手だてに社交界デビューを果たす姿を温かく応援して欲しいと願うばかりである。
さらに遠い昔、中学生の頃はネットワークとはせいぜい電話か郵便であった。当時学習雑誌の後ろの方には文通を仲介するページがあったのである。つまり文通相手を求める投稿が掲載されていた、それを見て気になった相手に手紙を出し気が合えば文通を始めたのである。沖縄の女の子という条件をつけて文通希望の投稿をした、一番遠い日本への憧れもあったのだ。予想以上に多くの手紙や星の砂などのプレゼントを受け取り友人らと手分けして文通した事は昔話だ。
文通と言う言葉に甘酸っぱいものを思うのは加齢の証だが、カタカナで表現すればつまりメールのやり取りである。時代が変わってもヒトは変わらないのである。










