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2012年2月14日 ちい・よ・こ・れ・い・と、と6段登る。 [カメラ]

cp+12_yokohama.jpg
docomo LG Optimus LTE L-01D

聖ウァレンティヌス司教の命日に端を発するとも言われる特別な今日は、ともあれラヴラヴの日である、らしい。悲喜交交あるいは悶々などの心理状態に対し、達観した自分であると逃げ道を用意して哀しくもカメラ話題である。

先日、カメラマニアの祭典なところのカメラショー、つまりCP+2012が開催された。

今年も(やや強引に)写真の街を主張する横浜での開催である点は相変わらず不満であるが、カメラマニアのオッサンでもある事から迷わず、今年も、出掛けたのである。昨年に比して混んでいると言われる中覚悟して止む無く休日のお出掛けとなった、駐車場の不安からC5 tourerの出動は断念で渋谷から東横線である。

何かしらのイベントが開かれる日の乗客は、例えばニッカポッカと登山靴の夏の中央本線やコスプレイベントのりんかい線程ではないものの、目的地が想像できる。この日も予想通りの人たちは、みなとみらい駅からパシフィコ横浜へ向かっていた。横浜開催は不満であるが展示会場へのアプローチという点でここは優れている、街から「遠く無い」のは美点だ。

直前に発表された新機種で盛り上がるカメラメーカーブースに対し相変わらず用品関連の出展は少なく各種機材を”見つけ”たり”吟味”は楽しめないのは残念である。そしてカメラメーカーブース脇の画質を自慢する大きなプリントを仔細に眺めようにもコンパニオンを絶妙な半径に取り囲む重装備の「カメラマン」諸氏に気圧されて近付けないのが小心者には辛い。

事前のプロ向けとする体験会でもD4を差し置いた存在だったニコンのD800を始めとしてキヤノンの1Dx、富士フィルムのX-Pro1、新生PENTAXのK-01、シグマのMerrillシリーズ等と今年はカメラショーの面目躍如とばかりに話題の新製品には長蛇の列ができていた。いろいろきな臭いオリンパスもOM-D EM-5で恐らく行列の長さは一二位を誇っている様子なのはカメラマニアとしては安心できるのであった。

ただ、センスのないOM-D EM-5という名称が表すようにかつてAF化に乗り遅れてフェードアウトして行った一眼レフフィルムカメラを模したボディデザインは、乱雑な操作部の配置を始め、既存のパーツユニットを安直に組み合わせたかの様に一体感に欠けまるで美しくない。工業デザインの美を主張するPENTAX K-01とはあまりに対照的である。そもそも例えばOM-1は当時小型化の為指針式メーター収納に押し出されマウント基部にシャッターダイヤルは移動し誤操作防止のため絞り環はレンズ先端へ、プレビューボタンとレンズ取り外しボタンは一対でレンズ鏡筒だったりと独り善がりなデザインで使いにくかった。それ以上にせっかく大きく広かったファインダーは黄色い色付きが気になり、何より少しでも逆光になるとレンズのハレーションでファインダーが見えなくなるのが何とも不満だった、一気にシステムカメラとして発売されたOMシリーズだったけどやったら硬かったズイコーレンズは当初マルチコートが無く口さがない連中にして顕微鏡のレンズだからと揶揄されていた。あえて最新のデジタルカメラシステムで復刻するほど旧OMシリーズに思い入れは感じないのである。ましてやこんな安直なデザインでは思い入れすら疑問なのだ。

オリンパスブースの行列は、この”ノスタルジー”あるいは”レトロ”は受け入れられていると見るべきなのだろうかも知れない、しかし義理チョコならぬ義理買いをファンに期待する時代では、もう無いと思うのである。

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2012年1月21日 ローパスフィルターのムコウガワ。 [カメラ]

lopass_without0.jpg
without AAfilter 右のグレーのタイル貼りの壁面全体に見られる虹色のモアレ、茶色のビルの手すりの偽色
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with AAfilter 
lopasstest0.jpg
full view

唐突に比較写真である。
ローパスフィルター、あるいはアンチエイリアスフィルターの有無の効果を以前試してみた。同じカメラで単純にローパスフィルター有無のみの違いである、つまりIRフィルター等は当然双方ともに装着されている。同一の露出で撮影し同じパラメーターで現像。

今年もカメラショウの春がやってくる。天災に翻弄されたカメラ業界も、オリンピックイヤーでフォトキナイヤーでもある今年は新製品登場の話題に満ちている。中でもローパスフィルターと言うキーワードがweb上を飛び交っているのだ。

銀塩フィルムからイメージセンサーへの変化しようが画像は光の強弱を定着させて作ることに違いは無い。光の強さで黒化する銀粒子の代わりに電力の大きさで記録しているのである。ただ大きく違うのはその構造だ、一般的な1ショット単板式のイメージセンサーはカラーフィルターによって三原色分解されて色が作られているのである。ブライス・E・ベイヤーが考案したフィルター配列でセンサー上の素子を2X2単位でRGGBの色情報を得て隣同士の素子で色を推定補完しながら(デモザイク処理)画像を形成しているのである。

このデモザイク処理による高コントラスト部のハレーションはセンサー解像度を超えた部分でモアレや偽色となってしまう。また、規則正しく並ぶ画素が被写体の規則性と干渉してモアレを生じることも有る。そこで単純にして効果的な方法がローパスフィルターを光路上に装着する事であった。ローパスつまりハイカットフィルターによって空間周波数の高い成分を遮断するのである。ローパスであるから一定の周波数以下の成分は透過するので画像がボケるわけでは無い、本来高解像の部分が失われているのである。

モアレの発生と失われる解像度の功罪を秤にかけて、JPEGの無い後処理必須のプロユースのデジタルバックにはローパスフィルターの備えはない。かつてオプションで用意していたメーカーもあったがそもそもが高価な部材であるそれは20万円以上もした。一昨年難産の末登場したPENTAX645Dはその驚異的な価格の実現はローパスフィルターレスも貢献しているのである。
lopass_without1.jpg
without AAfilter
lopass_in1.jpg
with AAfilter
lopasstest1.jpg
full view

レンズを通った光は出来るだけピュアなままイメージセンサーに届いて欲しいと願うのは写真家の人情だ。ましてや高解像の部分で損しているなんて、ケチな性分としてはローパスフィルターに悩みは深い。ただ予期せず現れてしまったモアレの後処理の苦労は高解像の満足より大きい事は、間違いない。

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2011年11月1日 今日はご案内。 [カメラ]

arujidm_omote.gif

相変わらずの常套句であるが、早くも11月に入ってしまった。
既にブログの体をなしていないとは言え、先月はスティーブ・ジョブスへの追悼しか記載が無いのは、言い訳にも窮するのである。

月も改まり早速更新と行きたい所であるが、今日は写真展のご案内である。

「主の風貌」と題した写真展、11月4日〜10日東京の富士フィルムフォトサロン、12月16日〜27日大阪の富士フィルムフォトサロンへ是非おいでいただきたいのである。

昨年の「Made in Japan」展にやや類似ではあるが、今回はテーマがもう少しマクロ的な街の商店主である。「Made in Japan」が海外への発信を意識した写真集の出版までを含んだテーマを持っていたのに対し「主の風貌」はもう少し隣近所の気楽さである。実際今回の作品は申し訳ない程お気軽に撮影したのであった、とは言え著名な写真家たち(と、アタシ)の写真を是非ご覧頂けますようお願いするのであります。


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2011年9月9日 重陽の節句。 [カメラ]

c5head_645d.jpgYNWA2.jpg
PENTAX 645D smcPENTAX67 165mm

重陽の節句である。
別名の菊の節句にあわせ、絞り形状が菊花に似た旧いPENTAX67用の165mmレンズの写真である。まぁこじつけが過ぎるのはご容赦頂きたい。

もはや常套句である更新の滞りや日時のズレ等への言い訳は省略であるものの、またもや昨日の話題なのである。
昨日の午後は『PHASE ONE Academy』とする日本のディストリビューターによるセミナーに参加した、相変わらず勉強熱心なアタシである。

20年近く前LeafのDCBを使っていた頃(勿論社有機ね)、時々Phase Oneをテストした。当時のディストリビューターのライトフェーズ(だったか)に売れてる?と訊くと「お医者さんがCONTAX645とセットで買ってくれました、3人目です。」なんて言ってたのを思い出すのであるが、俗に言う高級外車なみの価格のデジタルバックは今や当時の10倍以上の画素数を持つのである。ムーアの法則を持ち出すまでもなく驚く程安くなったのである。

今やかつてのライバルLeafやマミヤを傘下にするPhase Oneの新製品は8000万画素のIQ180である、相対的に驚く程安くなったとは言えカメラセットで5775000円也のお値段は我が3000CCのシトロエンC5より高価である。とかく画質番長的なこの手のデジタルバックはカメラ本体とは別モノが故の操作部の不自然さや背面液晶ディスプレイの品質は二の次的妥協点なのだが、さすがデザインも美しい最新のIQシリーズは(記憶に間違いが無ければ)iPoneと同じ液晶を採用しただけあって格段に奇麗で洗練された操作性になったのである。さらに浅い角度以外はエラーとなってしまうPENTAX645Dのそれと異なり垂直付近でも動作する実用的な3D水準器を、横長ディスプレイの画像表示領域外に常時表示出来たりFW800に加えUSB3.0に対応するなど実戦的進化は、500万円を遥かに超えるプライスタグを鑑みれば当然とはいえ感心するのである。

あれほどバラエティに富んでいた日本の中判カメラもデジタルな今や寂しい事にPENTAX 645D一択である。長いカメラメーカーのDNAが活かされた良いカメラではある、量産効果やセンサーの違いを考慮したとしても例えばIQ140との価格差も驚異的だ。しかしフィルム時代以上にプロフォトグラファーの支持は乏しい、頑にポラバックを採用しなかったフィルム時代のようにデジタルカメラの今も些細なところで機能が削られて使いにくい点が残念なのである。割り切りを程々にツールとしての完成度を高めてこそと思うがその辺は色々大人の事情があるのだろう。

費用対効果の点からも長く使える愛機足り得るツールとしての645Dの登場を期待したい。と、長命を願う重陽の節句に、やはりこじつけてみた。

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2011年5月21日 あつい、と言う形容詞。 [カメラ]

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NIKON D7000 AF-S18-200mm

相変わらず怠惰な性格を棚上げにしていたら、もう5月も後半である。
残念にも東京の空も放射性物質の浮遊は覚悟であろう、そして気温も高い、暑いのだ5月なのに。省電の夏に向かう今、猛暑の昨夏の記憶が新たな不安をかき立てるのである。

シグマからSD1が昨日正式に発表になった。先日のトヨタのプリウスαの発表を始めとして震災後もここに来て様々な新製品の発表が続き、少し前向きな日本の足音のようでそれはそれで嬉しいのである。

そして、SD1というカメラ。カメラ雑誌の発売日に合わせたのだろう発表である、恐らく誌面に実写画像が掲載されて盛り上がるという筋書きなのだと勝手に想像するのだが、カメラ雑誌を未読な為確証はない。ただ、盛り上がっている事は事実である。twitterを始めとしてweb上では発表後話題沸騰である。

シグマが社運をかけた、か、どうかは知らないがフラッグシップモデルであるという。理想を追った米国Foveon社の撮像センサーを、その会社を子会社化してまで熟成してきたその一つの到達点である事は確かだ。4600万画素というカタログデーターはPENTAX 645Dを抜いて国産カメラ中最高である。メーカーはその数字とセンサーの構造上不要とするセンサー前のローパスフィルターが無い事での高解像度と色の良さによる画質の高さを強調している。因に確かに偽色は出ない(出にくい)とは思うがフォトセルの配置上干渉縞は避けられない、つまりモアレから解放される事はやはりデジタルカメラは難しいのである。

web上の熱い議論はメーカーの目論見とは裏腹に、画質や性能ではなく、およそ70万円と発表された価格に対するものであった。画素数を万円で読み替える事が常識だったカメラを経験しているオッサンとしては4600万画素ものDSLRが70万円で買えるという一点については好意的な理解もするのであるが、世論は総じて批判の嵐である。曰く高すぎる値付けである、それも非常識にであるとの論調である。メーカー非難までに話題が膨らむのはどうやら低価格での登場を示唆した以前の社長発言に端を発するようだが、手の届くエポックメイキングな高画質カメラへの熱い期待を失った失望の大きさを物語っている。

このメーカーはカタログやホームページ上で画質を始めカメラの哲学を熱く語るのが特徴だ。ブランド力の乏しい事を補う説得力に溢れているのであるが、今回はこの夏の東京の夜のように暑苦しいだけで終わってしまいそうである。APS-Cのデジタルカメラが70万円である驚きの前には言葉は無力だった。

あくまで私感であるが、外殻を金属としたボディの質感は悪くないものの操作性も悪く見た目の冴えないデザインには価値が見いだせないのだ。Foveon X3センサーありきの熱い想いだけの独りよがりでは支持は得られない、冷静な製品開発を願いたかった。

タグ:シグマ SD1 FOVEON
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2011年4月30日 記憶とメモリー。 [カメラ]

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                  NIKON D7000 AF-S18-200mm

沖縄では梅雨入りだそうである。
悲惨な記憶で桜も寂しかった日本ではあるが、季節は確実に歩を進めている。やがて初夏に向かいその雨が潤すであろう東北の田畑が一刻も早く再生する事を祈りたい。

行きつけの書店で数多く並ぶこの震災の記録本を立ち読みした。立ち読み(立ち見か)なところがなんであるが、どうもこの手は購入意欲がわかないのである。ただ、記録として、あるいは日本の記憶として数多く出版される事は必要と思っている。で、取りあえず手に取ってパラパラとページを追って見るという、なんともセコい行為に我ながら自嘲である。

その中の一冊に津波のがれきの中に見つけたと言う泥まみれのアサヒペンタックスSPF(IIかな?)が写っていた。被災した報道カメラマンの所謂プロ機の姿は災害の大きさの証人として見かける事はあるが、このアサヒペンタックスは市井のヒトのカメラだ。40年近い昔に生まれたこのカメラは、きっと家族の記録を残し続けてきたのだろうと勝手に想った。海辺の町並みも美しい海も、その時代の変遷を記憶する道具として現役だったのだろう、標準レンズの付いたクロームボディのそのカメラは泥さえ拭えば直ぐにでも使えそうに写真では見えた。

かつて同じくアサヒペンタックスSPFを持っていた、と言うより、それ以前のSPがまだ手元に残っている。中学生の時両親に買ってもらった始めての自分のカメラだ。家族を記録し作品を写し写真学科に進んでなお愛着な道具だった。

所有するカメラの中で最新の機種はNIKONのD7000である。40年を経て手元に残るSPに対し最新のD7000は仕事の機材という導入動機がすでに寂しいのであるが、愛着を語るまでには至って居ない。期待した程の画質では無かった事も一因である、妙に甘いJpgと妙にカリカリなRAWデータは赤系の彩度が高く低感度から存在する不揃いなノイズと合わせ好みの写りではない。そして製品寿命の短いデジタルカメラにかつてのカメラへの愛着を望んではいけないとも言えるかもしれない。

技術の進化は規格の変化でもある、ビデオ、コンピューターそしてデジタルカメラと既に再生が出来なくなった記録媒体はどれほどになるだろう。40年後の未来にD7000はその形を留めているだろうか、そして家族の記録を読み出す事は出来るのであろうか。もしヒトの記憶にのみ残るような結果が待っているのであればD7000の美点の一つのダブルで備わるメモリーカードスロットもむなしい存在になってしまう。

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2011年2月10日 夢の無い祭り。 [カメラ]

dream.jpg
Panasonic LUMIX FX-500

CP+という所謂カメラショーの時期である。
かつてカメラは高価で精緻な耐久消費財でもあった昭和の昔、「日本カメラショー」は主要都市を巡回するように開催されていたのだ。カメラファンは指折り数え開催日を待ちに待ってニコニコいそいそ会場へ向かうのである、「写真用品ショー」と合わせ、年に一度のお祭りに憧れのカメラを夢見て頬も緩もうというものである。

昨年からCP+と不思議な名称になったカメラショーは何故か横浜開催である。都内からも意外に電車賃のかかるパシフィコ横浜が会場なのは他所からの来訪にも不便であろうとやっぱり思う。出展者は激減した昨年よりは若干増えた様ではあるが見所に欠けると言う事はネットで既に知った、情報化社会である。それでも出かけるのは、やはりお祭りだからと説明できる。

もっとも、残念な事に昨年も愚痴を記したが今年も愚痴である。噂のアノ機種もコノ機種も姿を見せない会場はカメラメーカーこそ大きなブースを構えるものの、それでなくとも出展の少ない用品関連は小さく簡素な展示で、面積あたりの出展料が高価なのだろうかと余分な勘ぐりをしてしまうのであった。祭りの賑わいは乏しい。今年もビッグスリーが出展を見合わせた東京モーターショーと重ねてしまうのは考え過ぎだろうか。

上限1300円の駐車料金を言い訳にC5で出かけた。パシフィコ横浜の駐車場は初見であったが国際会議場を持つこの施設なりの秀でた案内表示への期待はあっさりと失われた。統一性の無い「パシフィコ横浜駐車場」の矢印案内の先には複数の通路と異質な作りのゲートに「公共駐車場」の看板が着いた地下入路が並ぶのである。つまり「パシフィコ横浜駐車場」という目的地は忽然と消失するのだ。さらにはC5の左右のコーナーセンサーが警告音を発する何とも狭い発券ゲート周りと、”みなとみらい”にありながら何とも古くさい施設であった。未来の見えないここではやっぱり夢はみれない。



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2010年12月3日 Made in Japanという写真。 [カメラ]

Made-in-J.jpg
PENTAX 645D FA45-85mm

FIFAのブラッター会長がもったいをつけながら引き出した紙にQの文字が見えた。
日本のワールドカップの重要なポイントにいつもドーハが関係しているなと思いながら少しがっかりした。もう一度あの何とも言えない高揚感を東京味わいたいと期待していたから。オリンピックに続きW杯も暫く日本に来ない事が決まってしまった。先日のAPECやCOP10なども取り敢えず日本開催だったのに妙に日本の印象が薄いものであった。日本(ニッポンと発音して欲しい)が弱くなっている事が実感されるのである。

と言う事で無理矢理話題を繋ぐのであるが、アタシも会員となっている日本広告写真家協会(APA)の『Made in Japan』という写真展が今日から富士フィルムフォトサロンで始まった。日本広告写真家協会創立50年記念事業と言う事でMade in Japanをテーマに会員以外からも公募し写真集と写真展を通し現代の日本を内外に発信するという企画である。一人一点という条件ながら相当数の応募が有ったらしいが、内226点が写真集に収録され写真展として展示されているのである。

写真展は”作家”としてはややがっかりな見せ方である。プリントも何とも濃度の浅い不本意なものであるところからも、個人的には写真展においで下さいとは言い難いのであるが、総論としては写真家達それぞれのテーマの解釈と表現は是非ご覧になる事をお勧めするのである。

上に掲げた写真がアタシの作品である。写真集の方では幸いにも1ページ大に掲載されている為まだましであるが展示の方は小さくプリントされた為か印象が異なってしまった。

Made in Japanというテーマに対しユージンスミスに憧れていた頃の様に町工場を訪ねた。ドキュメンタリーを広告写真風に撮ろうと考えたのである。道具のブツ撮りか顔アップのポートレイトかと思案しながら作業を見ていると、その作業そのものが何とも美しいカタチだった。しばしの休憩をお願いしライティングと若干の整理を現場に行った、そして撮影の為新品の軍手に取り替えようとする気遣いを押止めた。ありのままを撮りたかったから。

細部まで描写する為PENTAX 645Dを使った、レンズの良さと相まって驚くほどの細密感と質感を得る事が出来た。写真に立体感を求めるのであれば、このカメラの選択意義は大きい。粛々と淀み無く進む作業にむかいこちらも黙々とシャッターを切った。

人物を基準にセレクトしたカットは背景にもややピンが来ていた、そして研磨しているモノも目立たず当然ながら飛び散る火花も寂しかった。つまり現場で思い入れたっぷりに眺めた情景とは異なるのである、先入観や固定観念そして思い入れに装飾された印象は写真には写らないのである。ピンの外れた背景と形が見えるモノ、広がりの異なる火花をそれぞれ別カットから取り込んだ。報道写真を撮っているのではない、目で見て心に感じた情景を写真にしているのだ。勿論嘘は無い、一枚の写真に実は複数の時間が写っているだけの事である。デジタル化の進んだ環境は写真家の理想を具現化出来るのである。

ただ残念なのは、この作品制作環境で『Made in Japan』の表記の有ったものはレンズと露出計とコンピューターのディスプレイだけなのであった。

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2010年8月20日 活動写真あるいは動画。 [カメラ]

k-xmovie.jpg
PENTAX K-x DA*16-50mm on QTplayer

今朝は若干過ごし易い体感温度ではあった、八月も終わりが近づき学生の頃なら寂しさと残った宿題の不安がこみ上げて来た頃である。もっとも異常な今年は暑さはまだ続きそうなので油断は禁物である。

秋と言えば、結局世界最大の”カメラショー”であるフォトキナが今年は開催年である。大きなマーケットであるアメリカのX'mas商戦を占う春のPMAはリーマンショックの余波もあって寂しいものであった。さらには家電見本市のCESと開催時期が近い写真用品のPMAは、デジタルカメラという”電気製品”の主流化によって住み分けが困難になったのであろう、来年よりPMAは秋に開催時期を移すと聞いた。同じく春の我が新装(分裂?)なったCP+は規模も内容も場所もさらに残念な物であった。

光学機器=ドイツという方程式を原理にしたフォトキナは長い歴史を持ち、相変わらず各メーカーは隔年開催のこれに向け新型を用意してくる。おそらく90%以上の占有率を持つであろう日本のメーカーもフォトキナを目指している事に若干の不満は禁じ得ない。

こう居丈高に記しながら、自動車王国日本でシトロエンというフランス車に乗り続ける我が身の矛盾に気付くのであったが、素知らぬ顔で棚上げして話題を続けるのである。

ニコンからニコン初のフルHD動画撮影機能を搭載した一眼レフが発表になった。所謂入門機種であるが動画のファイル形式やフレームレートも実戦的である。当然この後フォトキナに向かってメインストリーム機種も続くのだが当然フルHDは主要キーワードである。それは他メーカーにあっても同様で3Dをも含んだフルHDが2010年の”カメラショー”の現実である。

RED ONEが登場したあらたな映像制作の現場に、キヤノンは135サイズのセンサーを生かした被写界深度と多様な交換レンズを駆使した撮影が安価に出来るシステムを持ち込んだ。テープレス化の進んだビデオカメラとデジカメは基本的なからくりに於いて同一である。以前からホームビデオカメラには静止画撮影機能がありコンパクトデジカメにはムービー機能が搭載されていた。ファインダーを覗く必要に固執しなくなった今一眼レフカメラで動画を撮影する事は当然の帰結なのだろう。

たまたま見かけた動画関連のホームページに、映像系のプロである事をことさらに強調しながら一眼レフムービーを否定批判する記事をみかけた。個人のブログならいざ知らず、執筆者の浅薄で知識と経験の乏しい論調に驚かされた。積極的活用する人と否定する人の主張は、少なくとも一眼レフムービーが新しい時代を作った事を認識させるのである。

走る馬の足は4本とも宙に浮いているかという賭けの証明にマイブリッジが撮影した連続写真が映像撮影の原点である。静止画の連続が動画だ、つまり動く写真だ。日本語の活動写真とは実に明瞭な言葉である。

デジタル化によってかって分かれて別の道を進んだ写真と動画は再び融合である、新たな表現も生まれそうで楽しみであるのだが、かってのテレビ付きラジカセのような日本お得意の複合家電化という不安も否定は出来ないのは80年代に若者だったからだろうか。

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2010年6月18日 三本足の一つ目小僧。 [カメラ]

p645d_snap.jpg
PENTAX 645D DFA645 55mm

なぞなぞである。三本足の一つ目小僧ってナーンだ?
その通り、三脚に載ったカメラである。一眼レフより4X5なんかのビューカメラの方がイメージか、冠布が掛かっていればまさに妖怪風である。

三脚は、おそらく最も古いカメラアクセサリーであろう。長時間に及ぶ露光の最中カメラを固定しなくては写真を写す事が叶わなかった時代から現在まで変わらぬ構造でカメラ屋さんの店頭に並んでいる。

アタシの手元にも6本ほどの三脚が有る。高さが2mを大きく超える所謂5型と呼ばれたタイプから万能な4型そしてメーカー違いで少しずつ小さくなって行くラインナップで所有している。つまり、仕事なんで用途に応じて揃えていると言う事である。因にほとんどが外国ブランドである、日本ブランドの製品は、すぐに止まらなくなってしまうという残念な作りである事が要因だ。

ともかく、道具では有るのだが元来三脚は嫌いなのである。つまり面倒くさいのだ。演劇部でもあった高校時代、『三年寝太郎』が地を生かしたはまり役と言われたアタシはグータラなのである。三脚は持ち運びも面倒だし操作も面倒だし、なにより直感的にアングルを変更出来ない事も嫌いなのだ。それもあってペンタックスの67や645を愛用してきた。手持ち撮影がし易い事、アイレベルファインダーである事が理由である。

PENTAXの新型カメラである645Dも例外無く持ち易い。例えばこの建物のように水平に気を使う時でもファインダーに表示される水準器と掌への接地面積の多いボディデザインで安楽であった。もっとも、2軸式を自慢する水準器が、どちらか一方でも測定範囲を超えるとエラー表示になるのはいただけない。斜俯瞰で水平が解らないでは意味が無いのだ、早々の改善を期待したい。

訝しいのはトークショーという645DのPRの場なので盛んに三脚使用を強調する事である。メーカーが自慢するグリップの良さは手持ち撮影の範囲を確かに広げてくれているのに、である。同時に中判カメラは三脚使用が当然かのような固定概念の論調にも少々驚く。屁理屈を言えばスピグラやテヒニカの様なフィールドタイプの4X5だって手持ちカメラなのに。

ブラさない為、アングルを固定する為、体力を補助する為、長時間露光の為等々三脚の使用は正論である。しかし風光明媚な地などで多く遭遇する三脚に載せたカメラで不自由そうに撮影する情景は、明るい太陽光のもと、手ブレ対策のされた機材には不要ではないかと思える事が殆どである。ましてや目撃する多くは使用カメラに対し三脚本来の機能を期待するには力不足な三脚ばかりである。そして、三脚と言う結界に身を置くが故か他者への配慮に欠いた行動が散見される事が残念である。

固定撮影が前提のビューカメラを除けばカメラは手持ちで扱える道具である。135版で有ろうが中判であろうがデジタルで有ろうがである。道具として三脚が必要な限界は当然あるが、ハナから思い込みや先入観で三脚にカメラを固定してしまうのは、わざわざ不自由を抱え込むようでもったいない話である。同時に三脚は解り易い撮影行為の象徴である、マナーという観点からも使用には配慮が重要なのだ。

三本足の一つ目小僧は本当に妖怪扱いされかねない、見かける三脚禁止の張り紙は撮影マナーへの警告なのだ。

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