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2011年10月6日 ありがとう、さようなら。 [日常]

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Nikon D7000 AF-S18-200mm

また訃報である。
Appleの創始者Steve Jobsが死去したと朝のテレビが言っていた。新しいiPhoneの登場をしらせた同じテレビから、アップルの前CEOのスティーブ・ジョブズ氏が亡くなられたと言う速報が入ってきましたと早口でアナウンサーが言っていた。

残念だ。

でも、ありがとう。
生活にも仕事にも欠かせないモノ作ってくれて感謝だ。そしてサヨウナラ。

タグ:Apple MAC
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2011年9月10日 呑気千万。 [日常]

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Panasonic LUMIX FX-500

その昔、東京はスパイ天国だとよく言われていた。
インターネット携帯電話も無かった東西冷戦の時代であっても、呑気な日本の週刊誌や新聞から簡単に世界の機密情報を入手出来たのだという。その気になれば秋葉原を一巡するだけで武器を含むあらゆるスパイ用具を作れたと、確か新聞で読んだ。当然スパイアクションものマニアな高校生のアタシは少しワクワクしたのである。

様々な小説映画などでは日本にも内閣や防衛省直轄の諜報組織が存在するのである。つまりCIAやNSAみたいな組織が秘密裏に活躍している事になっている。首相官邸の地下あたりに巨大なマルチスクリーンに向かってU字型のマホガニーの机に主要閣僚らが並ぶ姿は定番であった。

ところがこの大震災とそれに続く原発事故の発生で架空と現実の乖離を思い知らされるのである。悲しい程のお粗末な政府の危機対処能力と情報収集能力は連日のようにテレビや新聞に露呈した。不甲斐無く頼りない現実の政治家が更なるお粗末さに色を添えているのであった、想像以上の現実の体たらくにこの後多くの小説家は日本を舞台にしたポリティカルアクションは執筆しにくいだろうと僭越な同情を覚えるのである。

今朝の朝刊一面の大見出しは米大統領機情報漏洩だった。ディスカバリーチャンネルやナショジオチャンネルの特集を観るまでもなく大統領搭乗中の専用機、つまりテロの象徴的標的になり得るエアフォースワンの行動は最高機密だ。そのフライトプランなどを事もあろうに羽田空港の管制官がブログに載せたというのだ。その管制官はテロリストのスパイだったのかノーテンキな小市民だったのかは判らないが、記事によると国家公務員守秘義務違反の疑いもあるので事情を聞いているとある。呑気な国の対応に些かな不安を思っていたら大臣がまた思慮の浅い言動で辞任した、呑気なニッポンの明日が心配なのはアタシだけ?

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2011年9月9日 重陽の節句。 [カメラ]

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PENTAX 645D smcPENTAX67 165mm

重陽の節句である。
別名の菊の節句にあわせ、絞り形状が菊花に似た旧いPENTAX67用の165mmレンズの写真である。まぁこじつけが過ぎるのはご容赦頂きたい。

もはや常套句である更新の滞りや日時のズレ等への言い訳は省略であるものの、またもや昨日の話題なのである。
昨日の午後は『PHASE ONE Academy』とする日本のディストリビューターによるセミナーに参加した、相変わらず勉強熱心なアタシである。

20年近く前LeafのDCBを使っていた頃(勿論社有機ね)、時々Phase Oneをテストした。当時のディストリビューターのライトフェーズ(だったか)に売れてる?と訊くと「お医者さんがCONTAX645とセットで買ってくれました、3人目です。」なんて言ってたのを思い出すのであるが、俗に言う高級外車なみの価格のデジタルバックは今や当時の10倍以上の画素数を持つのである。ムーアの法則を持ち出すまでもなく驚く程安くなったのである。

今やかつてのライバルLeafやマミヤを傘下にするPhase Oneの新製品は8000万画素のIQ180である、相対的に驚く程安くなったとは言えカメラセットで5775000円也のお値段は我が3000CCのシトロエンC5より高価である。とかく画質番長的なこの手のデジタルバックはカメラ本体とは別モノが故の操作部の不自然さや背面液晶ディスプレイの品質は二の次的妥協点なのだが、さすがデザインも美しい最新のIQシリーズは(記憶に間違いが無ければ)iPoneと同じ液晶を採用しただけあって格段に奇麗で洗練された操作性になったのである。さらに浅い角度以外はエラーとなってしまうPENTAX645Dのそれと異なり垂直付近でも動作する実用的な3D水準器を、横長ディスプレイの画像表示領域外に常時表示出来たりFW800に加えUSB3.0に対応するなど実戦的進化は、500万円を遥かに超えるプライスタグを鑑みれば当然とはいえ感心するのである。

あれほどバラエティに富んでいた日本の中判カメラもデジタルな今や寂しい事にPENTAX 645D一択である。長いカメラメーカーのDNAが活かされた良いカメラではある、量産効果やセンサーの違いを考慮したとしても例えばIQ140との価格差も驚異的だ。しかしフィルム時代以上にプロフォトグラファーの支持は乏しい、頑にポラバックを採用しなかったフィルム時代のようにデジタルカメラの今も些細なところで機能が削られて使いにくい点が残念なのである。割り切りを程々にツールとしての完成度を高めてこそと思うがその辺は色々大人の事情があるのだろう。

費用対効果の点からも長く使える愛機足り得るツールとしての645Dの登場を期待したい。と、長命を願う重陽の節句に、やはりこじつけてみた。

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2011年8月18日 それでも、「テレビ」は生きている。 [お気に入り]

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PENTAX K20D DA*50-135mm

相変わらずの遅筆とはいえ、気がつくとお盆も過ぎた。
蝉の鳴き始めが遅れたのは気温が低めだったからだそうだが、残暑の今日東京は今年一番の暑さとテレビが言っている。

つまり、前回に続いてまたテレビの話題である。テレビ好きなのである、昭和な人間だから。

夏ドラマである。視聴率はけっして良く無いらしいが「それでも、生きてゆく」が贔屓である。テーマは重く、下手をすればドロドロのソープドラマ的面倒くささを予感してしまうのであるが、映像も演出も脚本も音楽も美しいのである。瑛太もとても良い、しかしなにより 満島ひかり と 大竹しのぶ である。流石で見事な 大竹しのぶ と透明感のある演技と新聞の評にあった 満島ひかり、なるほどと思う。秀逸な台詞が 満島ひかり が作り出す世界に相まってアタシは瑛太になって行くのである。

今日の回では 満島ひかり と 大竹しのぶ が二人きりで向かい合って話していた。満島ひかり は逆光である、表情はよく見えない。対して 大竹しのぶ は順光の中で戸惑いの表情から優しい母の表情に変わって行くのであった、見事である、すべてが。しかも平行してストーリーは重い展開を暗示している、もはやこのドラマから目を離す事が出来ないのである。

ちなみに映画「川の底からこんにちは」も 満島ひかりワールド全開なのであるが映画の出来の酷さが残念な事は余談である。

残念と言えば終戦記念日前後のスペシャルドラマも肩すかしであった。「この世界の片隅に」は北川景子も小出恵介も優香もりょうも良かった、が、バラバラである、演出の稚拙さがあの時代の世界観を作り出せないままだった。「犬の消えた日」にいたっては、果たして真面目に作ったのだろうかと疑いたくなる程酷いものであった。全編通して視聴していないので断言は避けるべきであろうが、少なくも得るものは何も無かった。「最後の絆〜」はセミドキュメンタリーと言う作りでドラマ部分もそれなりに力を入れて作っていたが要所で「硫黄島からの手紙」の音楽が流れる安直さに失望した。

twitterに端を発したテレビ批判が一時Web上で大きな騒ぎになっていたようである。それは別としてもデジタルに進化したところでコンテンツを用意する制作側の意識次第だ、安直な番組制作はテレビ離れを加速する。もし平成生まれの親たちが『テレビばっかり観てないで』と小言を言わなくなったら、それはそれで寂しいのである。

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2011年7月25日 テレビのいない朝。 [日常]

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Panasonic LUMIX FX-500

今朝は文字通り静かな朝を迎えた。
パンを焼くトースターのジリジリという音だけが響く食卓のアナログテレビは何も映らない。朝の連続テレビ小説を期待する習慣を持っていなかった事は幸いであるが、時計代わりの朝の情報番組が観られないのは何となく不安である。

昨日のお昼でテレビのアナログ放送は終了した。固唾をのんでその瞬間を待っていたら、時間通りに呆気なく、ただ唐突に終わってしまった。いよいよ昭和は遠い昔になって行くのだ。

我々の世代は始めて家でテレビを購入した日の事をテレビが「来た日」と表現していた事に異存はないと思う。テレビが家族の中心に置かれたのは物心もついてからである、無論、昨今の大作ドラマに必ず冠せられる開局○○年記念という年数から察するに生まれる以前からテレビ放送はあったのであろうが、テレビ受像機が家に来たのは物心ついてからの出来事であった。

19型が大型であった時代だ。アールデコっぽい長い足が付いた奥行きのある大きな四角いテレビは丸っこいブラウン管の前にフレネルレンズや水を入れる凸レンズ形状の画面拡大オプションが取り付けられ、さらにおしゃれな織物のカバーなどで普段は覆われていた。テレビは観る時が決まっていたのである。因にカラーに見えるという触込みのレインボーカラーに塗り分けられた画面カバーを付けてもカラーには見えなかったのは幼かったせいだろうか。

昨日の深夜、日付の変わるのを境に電波も停止した。直前、感謝のメッセージが流れたそうだが見逃してしまった、他のテレビでCS放送のツールドフランスのゴールを観ていたから。今やテレビは忙しいのだ、映さなければいけないメディアが山のようにある、アナログでは間に合わないのだ。食卓のテレビのチデジカを今更ながら急がねばならない、ただデコードの時間分だけ時差のあるデジタル放送に統一された日本は少しだけ朝が遅くなるのだろうかと不安ではある。

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2011年7月21日 土用の丑の日。 [日常]

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Canon EOS20D EF-S18-85mm

鰻重と肝吸いである、が、写真は過去に撮影のイメージである、と注釈は先に述べておこう。
現実の食卓はもう少々、いや大分異なっている事はご了承願うのである。

つまり「本日、土用丑の日」なのである、理由の如何はともかく鰻の日である。
バレンタインディにチョコをクリスマスにケーキを食べる、日本人な我が家は当然のように夕食の食卓には鰻丼であった。

先日、遥か南太平洋上で天然鰻の卵の大量採取に成功とニュースは伝えたが今朝の情報番組は養殖用のシラスの不漁で鰻の販売価格の高騰を説明していた。スーパーマーケットの特設コーナーに並ぶ各種蒲焼きの価格は確かに、総じて高価な値付けであった。お買い得との表記の根拠を訝しみながら少々悩んで国内産鰻を選択したのは些細な贅沢である。ただ道すがらの老舗鰻屋の一串の値段は贅沢の許容範囲を逸脱していたのは悲しい事実だった。

土用シジミと呼ばれる旬なシジミたっぷりの味噌汁を供に鰻丼を堪能した。ただ惜しむらくは、そもそも夏の暑さ故の売り上げ不振の鰻屋の為の平賀源内による名キャッチコピーに反し今日は肌寒いのである。


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2011年7月5日 番組改編期。 [日常]

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Panasonic LUMIX FX-500

梅雨明けはまだ先だと言うのに暑い夏日が続く。
春のドラマも終わりを迎え番組改編期である。夏の新ドラマの番宣が散見される、TVも夏になって行くのだ。

残念な事にこの春は贔屓にしていたドラマは「Jin-仁-」くらいなものであった。第一シーズンに続き魅力的な登場人物に会える日曜夜には仁友堂の一員になっていた。間違いなく江戸に暮らしても良いとも思った。残念な事に放送回数の制約か妙に急いだ話の展開や最終回に台詞で謎に対するツジツマ合わせしてしまうなど不満点はあったが、例えば坂本龍馬の遺品を受けとる野風の濃密なシーンなど落涙は禁じ得なかった。

オッサンとしてはビールでもやりながらテレビを楽しむのが正しい夏の夜な気もするが、酒類をたしなまないアタシは年間を通して牛乳とコーラなのである。勿論、年齢を考え牛乳を控えめにコーラの比率を高めるあたり、大人の配慮は忘れてはいない。

ところが、ここ最近は水を飲んでいるのである。そう水道水を、それも暑さにかまげて大量摂取である。

少し前、東京の水道が放射性物質の脅威に晒された時、イスカンダルまで放射能除去装置を取りに行けないアタシは浄水器を装着したのだった。遠い昔面倒くさくて結局取り外した前科は有るものの放射性物質の不安に改めて導入である、そこで浄水器の主目的の水道水を不味くする要因濾過に期待して水を飲む事にしたのである。無論経済的理由も避けては通れないのではあるが、ただ、まあ結局、水道水なわけで別に美味しくは無い。

汗だくで校庭を駆け回った後蛇口に食らいついてひたすらに飲んだ水の美味しさは、あの頃の思い出なのである。同時に、今だ校庭で遊ぶ事すら叶わない被災地の子どもたちを思わなくてはいけないオトナなのに、今日また無責任に大臣が辞任した。それも復興と防災を兼務する大臣である、恐らく偉ぶる為の肩書きくらいにしか考えていないだろうし辞任したところで議員の職を失う訳ではない故か大臣という存在は随分と軽いものになった。与党からは呆れる程次々と浅薄さが露呈し野党はそれを蒸し返すしか能がない。結局これでまた政治は停まる、いみじくも朝刊に公開されていたすべて1000万円を遥かに超える議員のお給料は何の報酬なのだろう。

日本国も改変期だ、「Jin-仁-」の坂本龍馬のような熱い登場人物のキャスティングをしなくてはいけない。『日本を今一度洗濯・・』か。


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2011年6月24日 日々これ口実。 [日常]

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Panasonic LUMIX FX-500

当然梅雨時である。紫陽花は、まあ確かにきれいに咲いているのだが、暑いのである。
夕刊の見出しに熊谷で39.3度とあった、で暑いなどと書き出したものの思い直せば前回も暑いと書いているのだった。

梅雨とは言え連日暑い日が続くが故にブログの話題が・・・では無いのが我ながら笑止である。なにしろ前回の更新はまるまるひと月以上も『昔』の出来事だ、空白の日数を埋める口実を探す事すら困難である。ついで吐露すればfacebookやtwitterの所謂SNS上でも酷く無口なのはさもありなんである。勿論、タイムスリップして気がついたら今日に飛んでいた訳でもなく日々を過ごして来たのではある。

例えばタイムスリップと言えばのお気に入りのドラマ「Jin-仁-」、思わず落涙の先週の坂本龍馬の遺品として簪を受けとる野風の中谷美紀の濃密なシーンの事。例えば映画「アンダルシア女神の報復」のTVスポットにチラチラ映る主人公達が乗る先代シトロエンC5のタクシーの事。例えば撮像素子を動かして天体の疑似ガイド撮影を可能にするPENTAXのGPSユニットの事。例えば次々発表されるミラーレス一眼の事。例えばやっと姿が見えたPENTAX 645Dのテザー撮影ソフトの事。そして相変わらず改善しない仕事の事・・・

話題は豊富である。世の中は動いているのである、停滞しているのは怠惰に流される自分自身とこの国の政治だ。

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2011年5月21日 あつい、と言う形容詞。 [カメラ]

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NIKON D7000 AF-S18-200mm

相変わらず怠惰な性格を棚上げにしていたら、もう5月も後半である。
残念にも東京の空も放射性物質の浮遊は覚悟であろう、そして気温も高い、暑いのだ5月なのに。省電の夏に向かう今、猛暑の昨夏の記憶が新たな不安をかき立てるのである。

シグマからSD1が昨日正式に発表になった。先日のトヨタのプリウスαの発表を始めとして震災後もここに来て様々な新製品の発表が続き、少し前向きな日本の足音のようでそれはそれで嬉しいのである。

そして、SD1というカメラ。カメラ雑誌の発売日に合わせたのだろう発表である、恐らく誌面に実写画像が掲載されて盛り上がるという筋書きなのだと勝手に想像するのだが、カメラ雑誌を未読な為確証はない。ただ、盛り上がっている事は事実である。twitterを始めとしてweb上では発表後話題沸騰である。

シグマが社運をかけた、か、どうかは知らないがフラッグシップモデルであるという。理想を追った米国Foveon社の撮像センサーを、その会社を子会社化してまで熟成してきたその一つの到達点である事は確かだ。4600万画素というカタログデーターはPENTAX 645Dを抜いて国産カメラ中最高である。メーカーはその数字とセンサーの構造上不要とするセンサー前のローパスフィルターが無い事での高解像度と色の良さによる画質の高さを強調している。因に確かに偽色は出ない(出にくい)とは思うがフォトセルの配置上干渉縞は避けられない、つまりモアレから解放される事はやはりデジタルカメラは難しいのである。

web上の熱い議論はメーカーの目論見とは裏腹に、画質や性能ではなく、およそ70万円と発表された価格に対するものであった。画素数を万円で読み替える事が常識だったカメラを経験しているオッサンとしては4600万画素ものDSLRが70万円で買えるという一点については好意的な理解もするのであるが、世論は総じて批判の嵐である。曰く高すぎる値付けである、それも非常識にであるとの論調である。メーカー非難までに話題が膨らむのはどうやら低価格での登場を示唆した以前の社長発言に端を発するようだが、手の届くエポックメイキングな高画質カメラへの熱い期待を失った失望の大きさを物語っている。

このメーカーはカタログやホームページ上で画質を始めカメラの哲学を熱く語るのが特徴だ。ブランド力の乏しい事を補う説得力に溢れているのであるが、今回はこの夏の東京の夜のように暑苦しいだけで終わってしまいそうである。APS-Cのデジタルカメラが70万円である驚きの前には言葉は無力だった。

あくまで私感であるが、外殻を金属としたボディの質感は悪くないものの操作性も悪く見た目の冴えないデザインには価値が見いだせないのだ。Foveon X3センサーありきの熱い想いだけの独りよがりでは支持は得られない、冷静な製品開発を願いたかった。

タグ:シグマ SD1 FOVEON
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2011年4月30日 記憶とメモリー。 [カメラ]

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                  NIKON D7000 AF-S18-200mm

沖縄では梅雨入りだそうである。
悲惨な記憶で桜も寂しかった日本ではあるが、季節は確実に歩を進めている。やがて初夏に向かいその雨が潤すであろう東北の田畑が一刻も早く再生する事を祈りたい。

行きつけの書店で数多く並ぶこの震災の記録本を立ち読みした。立ち読み(立ち見か)なところがなんであるが、どうもこの手は購入意欲がわかないのである。ただ、記録として、あるいは日本の記憶として数多く出版される事は必要と思っている。で、取りあえず手に取ってパラパラとページを追って見るという、なんともセコい行為に我ながら自嘲である。

その中の一冊に津波のがれきの中に見つけたと言う泥まみれのアサヒペンタックスSPF(IIかな?)が写っていた。被災した報道カメラマンの所謂プロ機の姿は災害の大きさの証人として見かける事はあるが、このアサヒペンタックスは市井のヒトのカメラだ。40年近い昔に生まれたこのカメラは、きっと家族の記録を残し続けてきたのだろうと勝手に想った。海辺の町並みも美しい海も、その時代の変遷を記憶する道具として現役だったのだろう、標準レンズの付いたクロームボディのそのカメラは泥さえ拭えば直ぐにでも使えそうに写真では見えた。

かつて同じくアサヒペンタックスSPFを持っていた、と言うより、それ以前のSPがまだ手元に残っている。中学生の時両親に買ってもらった始めての自分のカメラだ。家族を記録し作品を写し写真学科に進んでなお愛着な道具だった。

所有するカメラの中で最新の機種はNIKONのD7000である。40年を経て手元に残るSPに対し最新のD7000は仕事の機材という導入動機がすでに寂しいのであるが、愛着を語るまでには至って居ない。期待した程の画質では無かった事も一因である、妙に甘いJpgと妙にカリカリなRAWデータは赤系の彩度が高く低感度から存在する不揃いなノイズと合わせ好みの写りではない。そして製品寿命の短いデジタルカメラにかつてのカメラへの愛着を望んではいけないとも言えるかもしれない。

技術の進化は規格の変化でもある、ビデオ、コンピューターそしてデジタルカメラと既に再生が出来なくなった記録媒体はどれほどになるだろう。40年後の未来にD7000はその形を留めているだろうか、そして家族の記録を読み出す事は出来るのであろうか。もしヒトの記憶にのみ残るような結果が待っているのであればD7000の美点の一つのダブルで備わるメモリーカードスロットもむなしい存在になってしまう。

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